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福島原発事故が飯舘村にもたらしたもの 今中哲二 講演より


 今中です。よろしくお願いします。私の話は飯舘村放射能汚染調査の報告と言うタイトルになっています。私は、小澤(飯舘村後方支援グループ)さん、菅井(国学院大)さんたちと、去年(2011年)の3月28日、29日と、この飯舘村に調査に行きまして、それからだいたい一年半ぐらい放射能汚染の調査を継続しております。また最近、環境省に研究計画を申請して、それが採択されましたので、その報告もしておきます。
 私の報告の内容ですが、大量の放射能が飯舘村なり福島のほうへ流れて行ったときの最初の被曝量、飯舘村の皆さんが最初にどれくらい被爆したのか、実は誰もきちんと調査してないんですよね。私の報告ではまずこの問題を明らかにしておきます。
 私は国のお役人とか、国の御用をしている先生方を知ってますから、その方々に「初期被曝評価のことを一体誰が責任持ってやるねん」、ということを何度も聞いたんですけれども、それがよう解からん、ていう返事でした。「そんなアホな」って。それでよく聞くと、どうも福島県の県民健康管理調査でやっているらしい。後でもちょっと話しますけれども。あれじゃちょっとダメだと、言っているうちに、何か知らないけれども、WHOが初期被曝のレポートを発表しました。結局、日本でやらずにWHOとか国連(UNSCEAR)にやってもらうのって、何かみっともない話だなぁと思っています。
 去年(2011年)の3月28、29の日、わたし、小沢さん、菅井さんらと、何で飯舘村の調査をすることになったかなんですが、それについては、私のレジュメの最初の方に経緯を書いておきました。
 

  福島事故当時の奇々怪々

 福島事故が起きて、私には、たぶん皆さんも、驚いたことがたくさんありました。
 驚いたことの一つは、データが全然出てこない。だいたい10日から2週間ぐらい放射能汚染データがでてこなかったことです。出てきたデータは、福島第一原発の発電所の敷地境界のデータだけです。東京電力が測った・・。3月12日にはまわり20キロに避難指示が出ています。そして15日は30キロ(圏内)は自宅待機とか避難。だけども、汚染データが出てこない。「一体、どないなっとんねん」と思っていました。
 SPEEDI(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)はどないなっとる。私が感じたのは、「あ、連中、今度は隠す気だな」ということです。今度はと言うのはどういう意味かと言うと、10年前のJCO事故の(日本の茨城県東海村核燃料加工施設の臨界事故)経験があります。JCO事故のときに、いろんな情報が出て、バラバラに情報が出て困った。その後、JCO事故の後にできた法律が、原子力災害対策特別措置法という法律です。その法律で、次に事故が起きたらオフサイトセンターというのを作って、“そこに情報をぜんぶ集めて一元管理して発表します”となりました。私は10年前にこの話を聞いたとき、「あ、これはヤバイな。次は連中、隠したい情報は隠すかもしれないな」と、言う直感はありました。
 1年半前に福島が起きたとき、本当に10日間ぐらいデータが出て来ませんでした。だけども、わたしには、相当な汚染がありそうだ、という話が入って来ました。私は自分のことを“原子力ムラの窓際族”と言っていますが、それなりに内緒の情報も流れてきます。それでとにかく、データを発表できる専門家が行って「測らにゃアカン」と思って、飯舘村へ行ったのが3月28、29日ということでした。
その一例ですけれども、SPEEDIが出てこない。モニタリングデータが出てこない。すぐに健康には影響がありません、とか。「むーん。一体どないなっとるんだろう」って思っているときに、3月23日に、これは朝日新聞ですけれども、飯舘村の土壌で、1kgあたり16万3000ベクレルのセシウム137が検出されましたよと。「あぁ、すげぇなぁ」と思って、パッと計算すると、これはチェルノブイリの、いわゆる、みんな移住しましょうという基準の5倍も6倍もある。えっ?これは「一体どないなってるの」と思いました。
 このとき私が思ったのは、飯舘村にホットスポットのようにポツン・ポツンと汚染があるんだろうなと思って出かけましたけれども、飯舘村で測ってみると、とにかく村じゅう汚染していました。



もう一つの情報、これは、私の友人、原子力ムラの住民ですけれども、こういうデータがあると連絡をくれました。これは福島県の原子力対策本部が測ったデータです。3月14日、15日からのデータがあります。上が飯舘村ですね。(図上部の緑色データ) 3月15日に、1時間当たり44.7μSv(マイクロシーベルト)。もう、ビックリするぐらいの放射線量です。こういうデータがポツポツ、インターネットで発表されていたわけだけれども、一般の人々には全然届いていなかった。私の友人が、今中、こんなデータが出ているからと送ってきて、で、私の名前で世間に発表してくれと連絡してきました。それで私どものホームページでグラフを出したんですけれども、とにかく飯舘村あたりに大変な汚染がありそうだ、ということで調査に出かけました。

 

  飯舘村の調査

 さいわい飯舘村の村役場からも協力してもらって、まる一日で飯舘村全域を走ることができました。当時の飯舘村は雪が残っていました。これは飯館村の長泥の方に行くと、私の持っていた線量計が振り切れたところです。この線量計は時間当たり20マイクロシーベルトまでしか測れません。本当に驚きました。念のために、持ってきていたもっと高いところまで振り切れない線量計ですね、これがまさか、まさか飯舘村で役に立つとは思わない。このとき我々が測った値の最高が時間当たり30マイクロシーベルト。


 これがどれぐらいかと言うと、私は京都大学原子炉実験所というところで働いていて研究用の原子炉があります。もちろん、放射線管理区域になっていて、私自身も中に入って実験したり作業することがあります。この管理区域、原子炉の中で、時間当たり20マイクロシーベルトを越えると、我々の原子炉では標識が貼ってあります。高放射線量率区域という標識で、私のような普通の作業員はみだりに入るな、というのが、時間当たり20マイクロシーベルトです。そんな状況が飯舘村に出現していて、本当に唖然、呆然としました。そして皆さんまだごく普通に暮らしていました。
 聞くところによると、長崎大学の山下先生たちのグループは、我々が行く前に、飯舘村へ来られて、放射能、放射線は怖くない、と言う説明をして帰ったと。それでみんな安心したとか。そんなアホな、というのが本当に正直な話です。
 我々がこの3月の調査で飯舘村全域の140箇所を車の中から測りました。それで一応、分布を見ると、この飯館村の長泥あたりが高い。どうも、これを見ると、ズーっと飯舘村の南のほうへ続いているんだろうなと、言う予測がありました。でも、このときはよく判らなかった。

 土も採りました。土を採ったら何ができるかというと、土を測るとその中にどういう放射能がどれぐらい入っているかが判る。
 こういうガンマ線のスペクトルを測ります。空から放射能が降ってきて地面に沈着します。その放射能、つまり放射性物質からガンマ線という放射線が出てきて被曝するわけです。そのガンマ線のエネルギースペクトルを取ると、それぞれ特徴となるエネルギーのところにピークが出てきますから、どういう放射能がどれぐらい入ってますよ、というのが判る。

 我々が調査したのは3月29日でした。ですから、14日経って土壌のサンプルを採って、その中にどういう放射能が入っているか測りました。ヨウ素131、テルル132、ヨウ素132、セシウム134、セシウム137が主なもので、他にもありますけれども、ガンマ線被曝に効くのはだいたいこれらの放射能です。それぞれの放射能には、ご存知のように半減期というのがありますから、サンプルの中にどれぐらい入っていたかを計算できる。


 そうすると、ここ飯舘村に、放射能が降ったのは3月15日のだいたい17時から18時ぐらいだろうと思います。その最初の頃どれぐらいあったかが計算できます。それで計算すると、3月15日の夕方は、この役場のこの辺りで時間当たり50マイクロシーベルトから60マイクロシーベルト。この実線は計算値ですね。この菱形はさっきも言った例の測定値。この点々は役場の横に置かれていたモニタリング装置の測定データです。傾向としては計算と測定がよくあっている。そういうことが言えます。ですから、ある段階でのデータが採れれば、この最初のころの被曝も判りますよ。かなり確実に話ができます。



 我々が測った最大の放射線量率は、長泥曲田で時間当たり30マイクロシーベルトという話をしました。この図は、3月15日の夕方に沈着して、1日目、2日目、3日目と足し算していく積算被曝量です。 3月15日からだいたい2ケ月後までの積算被曝量を示しています。初期でいちばん効くのはヨウ素132です。テルル132とヨウ素132、これは説明しませんけれども、親子の関係にあって、結局、このテルル132の半減期3日でヨウ素132も減って行きます。その後は、このヨウ素131と、それにセシウムの二つがあるということになります。ですから、被曝量というのはある程度予測できるわけ。ある段階でキチンと測って、そこの土壌にどういう放射能があるということが判ったら、先々どれぐらいの被曝になるか。これは、原子力ムラの専門家はみんなできます。福島事故の前から、日本には原子力防災対策がありました。これは原子力安全委員会が決めたわけですけれども、その中に屋内退避及び避難に関する指標が、予測される積算被曝量で示されています。   大事なのは積算外部被曝量として10から50ミリシーベルト(ミリシーベルト:μSvの1000倍)だったら速やかに屋内退避。50ミリシーベルトを越える場合はコンクリートの建物に退避するか避難するとなっています。ですから、ちゃんとした判断ができていれば、飯館村長泥曲田なんていうのは、もう次の日には警告を出して、すぐに避難しなければいけない。そうするとこういう余計な被曝を防ぐことはできた。だけども、警告は出されなかったし、何にも為されなかった。むしろ放射線は怖くないと、言う人がやってきた。私は、どうやら、あの当時、福島の原子炉と同じく日本政府の中枢機能もメルトダウンしてた(笑)と言わせてもらっています。確かにオフサイトセンターを中心とする防災システムは完全にメルトダウンしたんだと思います。
 

  1年後の3月にも調査

我々、根がしつこいものですから、あの、3月の測定の後、それから6月、10月にも飯館に行きました。
今年(2012年)の3月も一年間後ということで測っています。放射線レベルについては、去年の10月は、去年の3月末に比べるとだいたい半分ぐらいになっています。今年の3月は、一年前に比べるとだいたい3分の1ぐらいになっている。測定結果は、ホームページで発表したり、学者稼業をしているんで、いろいろ論文にもさせてもらっています。

 先ほど、伊藤さんの方から除染が効果があるか無いかという話がありましたが、私はまず落ち着くのを待て、と言っています。というのは、そのままでも減ります。これは物理的現象として、合計の黒い線、例えばこれは去年の夏頃を1としたときの減衰曲線です。ですから、5年、6年ぐらいまでは減ります。だけども、あと10年経ったら安定します。要するに、我々考えなきゃいけないのは、戻るにしても戻らないにしても、問題は10年、30年先の放射線量です。さらに、100年、300年のレンジの話です。いま慌てて、先がどうなるかよくわからないのに除染するよりも、まずどの辺に落ち着きそうかを見るのが大事でしょう。
 そして、ちょっとの話は飛んじゃうけれども、村の人が戻る・戻らないという議論は、まず戻る人の意思がどの辺にあるのか、どの程度に放射線量が下がれば戻るという希望を優先して、それが実現可能かどうか、行政がやる除染効との折り合いの中で決めていく話だと思っています。行政が上から決めて、さあ戻りましょうというのではうまく行かないでしょう。
 

  飯舘村の初期被曝量

 次に、飯舘村の初期被曝量ですけれども、私の判断では、日本の防災体制は初期被曝に対して完全にチョンボしました。うまく行きませんでした。その、ドジッたという事実を、どうも、ずっとフタをしてしまおうという形で動いているような気がします。
 初期被曝と言ったら二種類あります。一つはヨウ素。子どもたちのヨウ素の吸入に関わる初期被曝なんだけれども、3月11日に事故が起きて、大量放出が始まったのが3月12日からです。子どもたちの甲状腺被曝がいちばん心配だというのはみーんな知っていました。原子力関係者はみんな知っていたけれども、何にも対応しなかった。3月23日に、SPEEDIの計算結果が初めて出ると、どうも飯舘村も含めてかなりの甲状腺被曝がありうるぞと、言うことが判った。ここで初めて原子力安全委員会が動いて、対策本部のほうにちょっと測ってみなさいと、言って、嫌々かどうかはよく判らないけれども、飯舘村、川俣町、いわき市の子ども1000人ほどを測っている。それは原子力安全委員会が9月に出した甲状腺測定の報告で判ります。1080人測って、今回の調査では、0マイクロシーベルトが全体の55%、0.01マイクロシーベルト以下が26%となっています。80%が0.01マイクロシーベルト以下です。これを検査したのは3月28日から3月30日ぐらいにかけてでした。
 ちょうど私達が飯舘村に入ったときです。飯館村役場の前は5マイクロシーベルトありました。役場の建物はコンクリートですから、遮蔽効果はかなりあり、役場の中では5マイクロシーベルトが10分の1に落ちて0.5マイクロシーベルトでした。それでも、こんなところで0.01マイクロシーベルト、「どうやって測るんですか?」という話です。
 そういう話をある講演会でしたら、川俣町でその検査を行ったという京都大学の人からメールをもらいました。彼らは、NAI測定器で慎重にバックグラウンドの少ないところを探してやりましたと。彼らは、約0.02マイクロシーベルトぐらいの精度で測ったそうです。それで、彼らが測った場所を聞いて調べてみると、飯舘村に比べたら10分の1ぐらいのところでした。多分、飯舘村ではそんな精度は出なかったはずです。
 次に県民健康管理調査の外部被曝について見ると、だいたい飯舘村のだいたい3000人ぐらいのアンケート調査を対象に被曝量を推定しています。その県民健康管理調査の外部被曝の分布ですが、平均すると3ミリシーベルト程度ぐらいでしょうか。あの、3月11日から7月11日の4ケ月分です。私たちの計算では、長泥曲田では一週間で約20ミリシーベルトですから、本当かなぁという気がしますけれども。


  沈着量の分布地図


 環境庁から「放射線の健康影響に係る研究調査事業」という公募研究があったんで、申請したら採択されました。で、何やるかと言うと、世の中にはいろいろな人がいて、金沢星稜大学の沢野先生というのは、地形学というのかな、福島事故直後にアメリカ軍がヘリコプターから測った、データが全部公開されてい るんですが、彼はそれを分析して、こういうセシウム沈着量の分布地図が作れますという情報が入ってきました。これを飯舘村の中でやると、こういう細かい分布ができます。よし、これは初期被曝評価に使えると思ったわけです。何でかと言うと、さっき説明したように、ここに今セシウムの汚染がどれぐらいあるかというのが判れば、3月15日にどういう状態だったかというのがある程度推測ができます。
 我々は、3月29日に5箇所で土壌サンプルをとって測りましたから、問題になるのはセシウムとヨウ素の比、セシウムとテルルの比ですけれども、5箇所でそんなに大きく変わらないから、ある一定の値を与えて飯舘村全体に適用することはそれなりに合理的なやり方であると思っています。

 それから、先ほど報告された伊藤さんといいたてファームで話をしていたら、「いや、私、(伊藤さんのことですけれども)、放射能汚染が起きてから毎日ファームの放射線量を測って自分の行動記録と一緒にデータをエクセルに入れています」とのことでした。伊藤さんがNaIの測定器で周りを毎日測って、それで家の中で何時間、外に何時間いたということでずーっと自分の積算線量をまとめた、そういうデータがあったのです。

 「あ、これも使える」ということで、伊藤さんの積算被曝量を計算して、伊藤さんの測定値と比較したデータです。沢野さんの地図データを拡大すると、これが野手上山です。それで、いいだてファームこの辺のセシウム137汚染レベルはだいたい1平方メートル当り80万ベクレルぐらいです。われわれ行って土を実際に取って測ったデータが70万ベクレルですから、まぁ、そんなに間違ってません。それで、私がさっき説明したやり方で、いいたてファームの野外にずっと24時間いるとして積算線量を計算したものが図の黒い点線です。一方、伊藤さんがずっと自分で測って足し算したのがこの赤のライン。2つの線の違いが、家の中に居たりすることでの遮蔽効果になります。伊藤さんの場合その係数が約0.5です。普通、日本家屋の遮蔽係数は0.4くらいで、家の中に16時間、野外に8時間居ると仮定すると、実質的な遮蔽係数は0.6になります。図の2つの線の違いは、リーズナブルな値なので、これで外部被曝は何とかできそうだと思っています。
 

  初期被曝のヨウ素の吸入

 あと、厄介なのは、もう一つの初期被曝のヨウ素の吸入です。これはあの、直接データがないから、もう、シミュレーションしかありません。気象シミュレーション。


 ちょっと私の知り合いのシミュレーション会社にいま話をしています。一例を示すと、これが3月16日午前0時の空気中ヨウ素濃度の計算結果です。この計算はずっと前にやられた計算ですけれども。今回、もっと飯舘村に特化して、飯舘についてもっと細かい計算をしてもらいます。そして、時間毎の空気中濃度を算出して、そしてヨウ素吸入の被曝を評価する。そういうことをやってみようと思います。

 結論ですけれども、まず今年度は空気中濃度分布と沈着濃度を決めて、その場所にずっといたときの初期被曝量を計算します。それで、来年度は、みなさん、飯舘村の人がどういう行動をしたのか、いちばん肝心なのは、具体的にいつ避難されたか、これをちゃんと調べたいんです。飯舘村の人々を対象に、1700戸全部やる気は無いんですけれども、だいたい、各地区ごとにランダムに10軒か20軒だか選んで、全部で200軒ぐらい直接インタビューをさせてもらって、あなた方はいつ避難されましたかというデータをとります。そのデータを基に飯舘村全体の平均的な被曝量の分布をある程度把握できるだろうと考えています。ご清聴ありがとうございました。わたしの話は終わりです。

◇平成24年度:シミュレーション計算、飯舘村全域の放射能分布図の作成と各戸のセシウム137沈着濃度の推定

◇平成25年度:飯舘村住民の方々に避難までの行動についての抜き取りインタビュー、インタビューに基づく各地 区での初期被曝量分布の推定

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